死後の世界はあるのか?   自分の考える生と死の概念について その2

読んでいる人がいるのかいないのかわからないですけど、非常に更新が遅れました。

というより、正直、この話題についていちいち自分の思考を整理してここに書き込むのがめんどくさかったので、この記事の更新するつもりがなかったのですが、何となく暇なときにまとめサイトを見たら、

blog.livedoor.jp


という記事があり、このスレ主さんの主張が、前回のこの記事の内容と非常に似ており(もしかしたら、この過疎うんこブログを見てくれてその話題を挙げてくれたのかも)、すこしうれしかったので更新しました。

その記事のコメントの中には前のブログで出した自分の結論と似たような結論に至った人もおり、非常に興味深かったです。



まぁそんな前置きは置いといて、前回の問題をもう一度要約してお話します。
詳しくはもう一度

thinkingichthyostega.hatenablog.com

を見てください。

前回の問題のあらすじ

前回のスワンプマン問題を少しアレンジしたような問題について要約しますと、

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上図のように人間(自分)とそのクローン(実験を分かりやすくするために記憶が一切ないと仮定する)の脳をケーブルで接続し、人間(自分)の記憶を徐々に転送していきます。

このとき、クローンは目覚めておらず、人間はクローンの記憶をケーブルを通じて自由に引き出すことができるとします。

転送が完全に終わるまで一年かかるとして、一年後には、自分の記憶を完全に持っているクローンと、一切の記憶のない人間が存在します。このとき、ケーブルを外し、記憶のない人間を消し、残ったクローンを目覚めさせた時、それは自分といえるか?

という問題です。
前回の記事ではコンピューターにしていましたが、正直クローンの方が分かりやすいと思ったのでクローンにしました。

記憶の転送について

転送の方法をより詳しく説明すると、

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上図が初めの状態であり、自分の記憶の一部をクローンにコピーします。

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すると、上図の状態となり、人間クローン両方記憶を持つことになります。その後

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上図のように元の記憶を消去することで人間の記憶をクローンに転送します。

この過程において、上図では、大きな赤枠内に常に水色の記憶が存在しているため、転送前後で人間(自分)の記憶がなくなるということはなく、[自分]に変化はありません。

もし、仮に変化があるとすると、「人間の記憶を消去したとき(画像3番目)に自分が[自分]でなくなる」という意見になると思いますが、
これは、「自分自身の記憶を参照するか、それ以外から参照するかで[自分]が変わる」という意見に変えることができると思います。

人間とクローン両方に記憶が存在しているとき(画像2番目)を考えてみましょう。
もし、さっきの意見が正しければ、2枚目の画像のとき、自分に存在するの記憶を参照するか、クローンに存在する記憶を参照するかによって、[自分]が変化してしまうことになり、自分とクローンが両方記憶を持つときは、[自分]であって[自分]でない状況となり、矛盾した状態になってしまいます。

なので、この転送方法によって[自分]が無くなるということはないと私は思います。

[自分]及び[私]について

この問題で、他の部分で[自分]が無くなると感じる部分(時系列)はどこにあるでしょうか?

それを考えると挙げられるのは、ケーブルを外した時及び記憶のない人間を消したときのどちらかになると思います。

ケーブルを外した時点で、もう一度ケーブルをつなぎなおさない限り、記憶のない人間を消そうが消さまいが、[自分]について大きな変化はないと思ったので、今回はケーブルを外した時を主に注目して考えていきます。

これについて考えるには、自分の意識、[自分]について考える必要があります。

スワンプマン問題について考える際に、きっとスワンプマンは傍から見れば元の人間と全く同じような振る舞いをすると思いますが、皆さんの多くが、スワンプマンと元の人間が異なると考えると思います。

そして、そう考える根拠として、自分の意識、[自分]、が完全に異なったものであるという主張が一番に挙げられると思います。


少し話を脱線させますと、スワンプマンから見ると、元の人間と同様に、自分の記憶と[自分]が完全に異なっており、どういった感覚になるのかという部分も非常に興味深いです。
また、実際にどうなるだろうかという部分の仮説が、第三回星新一賞の準グランプリを受賞した人鳥暖炉さんの「その空白を複製で」に書かれています。
第三回星新一賞受賞作品は
eb.store.nikkei.com
から会員登録をすれば第一回、第二回も無料でダウンロードでき、内容も非常に面白いので、是非ともダウンロードして読んでみてください。

ケーブルの切断と行動プロセスについて

話を戻しますと、ケーブルを切断する前に、[自分]が人間側、クローン側どちらにあるか?([自分]がコピー可能かどうか?)というのが大きな問題になります。

ケーブル切断前の人間の行動のプロセスを考えた図が、下の図になります。([自分]が人間側にあるとする)

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上の図では、外部からの刺激を[私](さっきまで[自分]といっていたもの)が知覚(水色矢印)し、行動に移すための参考として過去の記憶を参照するけれども、人間側に記憶がないため、ケーブルを伝ってクローン側の記憶を参照(赤矢印)し、その中の有用な記憶を[私]に持っていき(ピンク矢印)、それを判断し、[私]が行動を起こす。というプロセスになります。

もちろんこのプロセスを仮定した場合、ケーブルを切断した後のクローンの行動プロセスは下図のようになり、

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ケーブルの切断によって[私]が無くなっている(クローンの[私]になっている)ことがわかります。

つまり、このプロセスでは、[私]がコピーできない限り、ケーブルの切断によって[私]が消えてしまう、つまり死んでしまうことになります。

普通はここで、結局スワンプマンは自分ではない、として議論を終了してしまうと思いますが、今回はもう少し、踏み込んでみます。


ここでさらに考えるべきなのは、

一度人間(自分)からクローンに記憶を全て転送し、ケーブルを切断(切断しなくてもいいかもしれません)、その後、すぐにケーブルをつなぎ直し、今度は逆にクローンから記憶を全て元の人間に戻す。

という操作をした場合です。このとき、ケーブルを切断して、クローンを消した場合、残った人間は[自分]ということができるでしょうか?

先ほどの行動プロセスの意見を考えますと、きちんと[私]が残った人間の中に存在しており、記憶もすべてあるため、[自分]であると断言することができます。

しかし、個人的には2回転送を行った前後で[自分]はすでにほかの何かに変わっているのではないか、と思ってしまいます。具体的にどれだけ変わってしまったかと言いますと、一回転送を行ったクローンの持つ[自分]と同レベル程度にです。

この転送を何度も繰り返すと分かりやすいと思います。その場合、

奇数回転送を行った場合は[自分]ではなくて、偶数回転送を行った場合は[自分]となる。

ということになってしまいますが、それはさすがにおかしいのではないかと感覚的に思ってしまいます。

[自分]についての新しい仮説

さっきまでの部分で、この問題についての思考がしばらくストップしてしまったのですが、ある時

というあきらかに今考えている問題と非常に似ている事柄を問題として取り組んでいる本を発見しました。

この本の中にある、リベット博士の実験は今自分が考えている問題を解決するのに大きな役割があるのではないかと、非常に興味を持ちました。

リベットの実験

リベットの実験について簡単に話しますと、

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  1. 上図の被験者には脳に電極を付けてもらい、ボタンと、時計の様に一定時間(多分1秒)で点が一周する円盤を用意する。
  2. 被験者には指でボタンを押してもらい、その際に脳の電位(特に運動準備電位)の波形を測定する。
  3. 指でボタンを押す際に、「ボタンを押そう」と思ったときに、円盤の点がどの位置にあったかをボタンを押した後に教えてもらう。


という手順になります。

先ほど考えた行動プロセスをこの実験に当てはめますと、下図のようになるはずです。

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動かしたい時刻から、[私]はボタンを押そうという意思を持ち、それを行動に移すため、前頭葉に信号を送ります。
信号を送った後、前頭葉から指に直接信号を送り、その信号を受けた指が、ボタンを押します。

したがって、時系列としましては、

指を動かそうとしたときの円盤の時刻 → 運動準備電位に信号が出る時刻 → ボタンを押す時刻

となるべきなのですが、実際の実験結果では

運動準備電位に信号が出る時刻 (0.35秒)→ 指を動かそうとしたときの円盤の時刻 (0.2秒)→ ボタンを押す時刻

であったのです。

つまり、自分が「ボタンを押そう」という意思以前からボタンを押す準備がなされていたことになります。言い換えれば「[私]が意思を抱く以前からその行動を起こす準備がなされている。」ということになります。

一応この実験の結果の反論としましては、下図のように、

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ボタンを押そうとしたときに、目で時刻を確認するために、ボタンを押すのと同様に前頭葉に信号を出し、その後目で時刻を確認しているため、時間が遅れた

とも考えられますが、基本的に目では連続的に時計を見ているため、前頭葉に信号を送るかどうかは分かりませんし、もしその場合、

となり、体における距離を考えると、前頭葉から目に信号が伝達される速さが遅すぎる結果になってしまいます。


また、他の要因として、被験者が、自分が記憶しやすいように、指を動かそうとする時刻を、ある時刻に定めて(例えば点が12時の位置になるところを動かす時刻に設定する)いたのではないか?というものもあるけれども、
実際にある時刻を定めて、実験を行ったところ、

運動準備電位に信号が出る時刻 (0.80秒)→ 指を動かそうとしたときの円盤の時刻

となり、運動準備電位の信号出る時刻がさらに早くなったため、これが原因ではないみたいです。

詳しくは
www.informationphilosopher.com
を見てみてください。

したがって、結果としては、[私]が行動を行う意思を持つ前に、脳ではすでにその行動を認識しているという結果がこの実験より証明されてしまいました。

その3に続きます。